2010-02-25

フォークの歯はなぜ四本になったか ([著]ヘンリー・ペトロスキー,[訳]忠平美幸,[版]平凡社ライブラリー) #1

(p.342)
物理的なモノがどんな振舞いをするかについて、われわれの本能的な感覚が培われるのは幼年期、つまり時間がたっぷりあって、たいした抑制も受けずに身の回りのあらゆる物質をつぶさに観察したり、実験に使ったりできる時代である。

デジタルな、仮想的なモノのふるまいについての感覚というのもあるのだろうか? あるとしたら、それはどんな行動を通じて培われるのか? 現在存在するデジタルなものに、基礎となる「ふるまい」のようなものは実装されているだろうか?

GUI を備えたパソコンに限った例だけど、ドラッグ & ドロップとか、ダブルクリックとか、かな。前者は、画面に表示されているモノ(アイコンとかウィンドウとか)は「ポインタでつかんで、動かすことができる」という、今では当たり前のことにつながる。これはもう立派な「ふるまい」だろう。

そもそも、GUI のことを何も知らない人にとったら、デスクトップの背景画像も、そこに並んだ(浮かんだ?)アイコンも「絵」にすぎない。フォルダや書類を意味するアイコンが「モノ」として扱うんだという約束事を知らなければ、「開いて」とか「動かして」とか言われても何のことだかわかるまい。

メニューベースな UI が初心者向けとして言われた時代もあったけど、それも同様。フォーカスがあたっているとき(選択されている)に、背景色が変わったり、文字の色が変わったりするというようなことすらも、「基本的なふるまい」ってことだ。知らないと意味がわからない。

そう思うと、ファミコンに始まるTVゲームの普及は「デジタルなモノの基本的なふるまい」を浸透させたという意義があるかも。ドラクエなんかで遊ぶうち、知らぬ間に階層化されたメニューを駆使することに慣れたのだ。あれがあったればこそ、複雑化したケータイの操作性も受け入れられた。

フォークの歯はなぜ四本になったか 実用品の進化論
ヘンリー・ペトロスキー
平凡社 ( 2010-01-09 )
ISBN: 9784582766936
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