小川一水の短編集。表題作から「Slowlife in Starship」までを読んだところだ。
収録作品
- フリーランチの時代
- Live me Me.
- Slowlife in Starship
- 千歳の坂も
- アルワラの潮の音
雑感
表題作の「フリーランチの時代」は、もし何もかもがタダもしくは、コストを無視できるぐらい非常に安価で手に入れられるようになると聞いたら、あなたはそうなることを選択するか、というような内容。
無論、変化にはそれなりの代償が必要。あなたにとって、大事かどうかはわからないけど、ヒトとして本質的な何かと引き換えにしても「フリーランチ」を選びますか、そういう選択を突きつけられる。ある者は不可避に、別の者は生命体につきものの欲求と決別するため、またある者は自らの知識を拡大するため、それぞれに「フリー」となることを選ぶ。
さて、あなたならどうする? わたしは、一も二もなく飛びつくだろうな。食う心配(他にもいろいろあるよね)をしなくて良くなるなら、ヒトでなくなったって構わない。
「Live me Me.」はラストがちょっとつらい。話の筋から言って、大団円のまま終わることは無理なんだけど、やはり、ちょっとね。ヒトって何、知能ってどういうもの、意識ってどこにあるの? そう問いかける物語。
「Slowlife in Starship」では、表題作とは違った形でフリーランチが実現された世界を描く。あらゆるものがタダで、というのとは違うけれど、生きていくのに困らない程度のものは非常に安価に贖えるようになった時代。ヒトはどう変わるのか? 皆が抱く、素直な疑問に対するひとつの解答(有り得る姿)。それは「際限ない発展」と「引きこもり」。
比類なき自負心を武器に、人類の領土を着実に広げていく人々が形づくる世界。その片隅には、ニッチな生産にたずさわることで人類社会とゆるやかな交渉を保ちつつも、自分の世界から出てこようとしない人々がいる。人類に星々の征服を可能にした技術が、その一部を何万という小惑星に「引きこもる」ことも可能にしたのだ。
タイトルにある slowlife は、そんな「際限ない発展」と「引きこもり」の狭間を行き来しつつ暮らすこと。太陽風に吹かれながらゆっくりと太陽系を進む、そんな生活のこと。
遠い未来の物語のようなんだけど、実は現在にも似たような状況は存在している。だからこそ、こういう明るく前向きなラストにしたんだろう。そこはちょっと気に入らないが、それは読む側が中年のオッサンだからかもしれない。
さて、フリーランチについて、もう少し語ってみよう。