2009-11-25

デジタルツールに欠けているコト

紙(ノート)と鉛筆(ペン)では当たり前のことで、デジタルツール(パソコンのアプリ)では実現できないことがある。表現に対する自由度の低さだとか、持ち運びにかかる手間が大きいだとか、使える場所を限るだとか、そういうすぐに目につく特性ではない。当たり前すぎて目の前にあるのに気付かないこと。それは「減っていく」ないしは「埋まっていく」ことの快感。アナログの世界では本質的につきまとう特性だ。未来が過去に変わる快感とでも言おうか。真っ白いページが自分の書いた文字で埋まっていく。書いている最中にも常に感じているし、ふとしたとき使ったページをパラパラとめくっても感じる。デジタルなツールでこれを感じさせてくれるものに出会ったことがない。

MOLESKINE と LAMMY
送信者 LOG+REPO

どっぷりとデジタルなツール(Mac や iPhone)と環境(インターネット)に漬かって暮らしていながら、コンピュータ出現以前に慣れ親しんだアナログ系の道具(文房具)への憧れは消えない。必要性に迫られて使うこと(パソコンを持ち込めないような状況とか)もあれば、他の選択肢をあえて捨ててそっちを選ぶこともある。

前者の典型は、通勤の電車のような空間的な制約がある場合に使う。ロディアのような小さなメモとシャープペンシルがこの場合に適した組合せ。デジタルネイティブな世代であれば、片手で使えるケータイの方が良いと言うかもしれない。

後者の典型は、一日の出来事を振り返りつつ記録するときに選ぶ。平たく言えば日記。現在、このために使っているのは MOLESKINE の手帳と LAMMY の万年筆。今回のトピックである「減っていく」あるいは「埋まっていく」快感については、日々の記録を書いているとき、そしてそれを週次で見返すときに感じるようになった。

毎日、ページを自分の文字(おせじにもキレイな字とは言えない)で埋めていくことが、日々の記録をつけるモチベーションになる。どんなに眠くてもこれだけはやっておきたいと思える。ここまで書いたのか、とうれしくなる。同じことを感じさせてくれるデジタルツールはあるだろうか? いや今まで出会ったことはない。では、そういうツールを作ることは可能だろうか? それともデジタルなツールには本質的に欠けている何かがあるのだろうか?

本記事で扱うアナログな道具に見出せる positive な感覚は次の 3 つ。

  1. 増えていく喜び
  2. 減っていくうれしさ
  3. 埋まっていく快感

「増えていく」と「減っていく」は表裏一体だけど、微妙に異なる。前者は成果の積み重ねが喜びとなるのだし、後者はゴールに近付いているという実感にうれしくなるのだ。さらに「増えていく」方はデジタルツールの中にも備えているものがある。たとえばブログ。サイドバーに表示させたアーカイブ(過去記事)のリストなんかがまさにそれ。ブログが他のウェブサイト構築ツールにくらべて継続性という点で優れているのは、「増えていく喜び」を実感させてくれることではないか。一方で「減っていくうれしさ」を実装しているツールは見当らない。

「増えていく喜び」とブログの関係でもわかるように、デジタルツールにおいてはこれらの感覚を「演出」する必要がある。アナログな世界が本質的に備えている何かをシミュレートしなければならない。であれば、他の感覚についてもそれは可能だろうか?

「減っていくうれしさ」は先に述べたようにゴールに近付く実感だ。目標を設定することが活動に対するモチベーションを上げることは誰もが実感するところだろう。使い切った瞬間がゴール。アナログな道具は「暗黙のゴール」を持っているわけだ。明白な目標ほどではなくても、「暗黙のゴール」も動機づけになる。

近頃のソーシャルなネットサービスには活動を他人と共有することで「明白な目標」を、それと気付かせずに設定させるものが多い。みんなが読んでいるから、友人も走っているから、・・・。これはアナログな道具が持ちえない特性を利用したデジタルツールならではのもの。「減っていくうれしさ」の置き換えになる。これも良いんだけど、もっと直接的にアナログ世界の「暗黙のゴール」を演出できないものだろうか?

デジタルツールにも容量上の制約はある。ローカルな HDD も、ネット上のストーレジも無限に使えるわけじゃない。けれど、パソコンの HDD を使い切ることと、紙のノートを使い切ることとでは「何か」が違う。それはおそらく継続性だと思う。同じ道具を使い続けられる安心感が(これも暗黙のものだが)アナログの道具にはある。パソコンのユーザにとって HDD が満杯になることは(近頃ではそうそう起こらないと思うけれど)、喜びよりもむしろ恐怖を覚える状況だ。「暗黙のゴール」と呼べるものじゃない。

送信者 LOG+REPO

では「埋まっていく快感」はどうだろう? これを「演出」することはできるだろうか? まだ、漠然としているんだが、これについては「縦スクロール」を廃止することが有効だと考えている。つまりページという概念を明確に取り込むことだ。

ワープロのように印刷を前提として作られたツールにはページという概念が存在する。ウェブには存在しない。これはウェブに対するユーザサイドのツールであるブラウザに作り込まれなかったからだ。ページ送りではなくラインスクロールを採用した理由はわたしにはわからない。想像するに、ページを作るレイアウト作業よりもラインスクロールを実装する方が簡単だったのかもしれない。

ページの概念がデジタルツールの中に(再び)取り込まれたなら、「埋まっていく快感」を演出することも易しくなる。さらに「減っていくうれしさ」もシミュレートしやすくなるだろう(たとえば、あらかじめ空ページが決まった数だけ用意されている、とか)。

ページ化されたデジタルツールを想像しにくい人は、Keynote や PowerPoint を思い出してもらえれば良い。これらのツールはプレゼンに特化しているから、これを「書く」ために使うことは想像しにくいかもしれない。けれど、発表資料を作っているときに、サムネイル表示で全体を俯瞰して、「おお、これだけのスライドを作ったのか」と小さな達成感を感じたことはあるはずだ。それこそ「増えていく喜び」そのものだ。

こういったプレゼンツールには、スライドという形で「ページ」が作り込まれていて、サムネイルによる一覧表示もある。「埋まっていく快感」と「増えていく喜び」を、そこそこ演出できる可能性を持っている。「減っていくうれしさ」についてはファイルという概念が邪魔になりそうだ(これもまた「ファイルの呪縛」か)。ファイルをどうにかしようとなると、OS の成り立ちに立ち入ることになる。大事になるね。

かつて、ハイパーカードというツールがあった。わたし自身、あまり良く知らないのだけど(OS X 以降の Mac ユーザだから)、噂から想像すると、いくつかの点でウェブブラウザよりも優れていたと思われる。「カード」==「ページ」でもあるから、これも「ページという概念を作り込まれたデジタルツール」だ。消えてしまったことが残念だ。これについては、また別の機会に書くつもり。

関連リンク

本記事に登場した文房具たちに関連するリンクを以下にまとめておく。

参考文献

STATIONERY HACKS!
土橋 正, 小山 龍介 / マガジンハウス ( 2009-10-01 ) /アマゾンおすすめ度

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