2009-11-11

捨てることで見つける

【連載】Google世代の整理術「デジタル情報整理ハックス」 (21) 「どうしてもとっておきたいエントリ」はどうするか?
情報収集と一口に言っても、新聞のスクラップが主だった時代に比べて、インターネット時代の今は、収集のたやすさと情報量の豊富さにおいて、圧倒的です。こういう環境では、厳選のレベルをいくら高く設定しても、高すぎることなどないように思えます。

「気になったものはなんでも取っておくといい」というのは、むしろ紙の時代の箴言です。今ではむしろ、ちょっとでもいらないかなと思えた情報は、とにかく捨てた方がいいと言っても、過言ではないでしょう。

「はてブ」や diigo のような SBS の登場で URL を記録しておくことがとても簡単になった。その結果、ブックマークがあふれてしまう。で、せっかく取っておいた URL も埋もれてしまって見つけられない。しかたがないから、ブックマークを検索するようになる。で、ふと気付く、「あ、Google で検索すればいいじゃん。ブクマ、いらないな」と。

RSSリーダーの登場でウェブに流れる情報の監視がとても簡単になった。その結果、未読フィードがあふれてしまう。結局、読まないまま「既読にする」をクリックしてしまう。ちらっとタイトルだけを見た記憶から、あんな記事やこんな記事があったはず、とRSSリーダーに保存されたフィードを検索するようになる。で、ふと思う、「あ、これって Google で検索するのと同じ。RSSリーダー不要。ってか、最初から読まなくて良いんじゃないか?」

情報が大量に蓄積してしまうと、見つけるためには検索を用いるしかない。情報の山を始めから終わりまで(少なくとも見つかるまで)、順にたどるような方法は探索時にコストがかかりすぎる。蓄積時に整理、分類すれば探索の手間は省けるが、今度は蓄積するときにコストが発生する。加えて、たいていの人は体系立った分類法など身につけてはいない。一貫した分類を行おうとするだけで苦痛になる。整理が不要な量に収まっているときだけ効率良く整理できる。人はスケーラブルにはできていない。「大量」を相手にするには機械に頼るしかない。

一方で、検索には「見つからないかもしれない」問題がつきまとう。たとえ自分が蓄えた情報であっても目的の対象を見つけられるとは限らない。「ブックマークしたはず」という記憶が間違っていることもあるし、適切な検索語を思いつけないこともある。整理と探索にかかるコストを劇的に軽減してくれる「検索技術」は「発見する」という事象を確率化してしまうのだ。

「確率化されてしまった発見」に対して、「見つかる確率」を上げるためにさまざまな工夫が発明されてきた。SBS のように、ブックマークを共有し、タグづけを「みんな」で行うことで、集合知を味方につけようとする技術はその代表。けれど、ちょっと考えてみよう。これは Google が検索精度の向上の名のもとに日々取り組んでいることとかぶっているんじゃないか? PageRank はそもそも集合知を検索に生かそうという試みだ。ウェブ履歴は個人の嗜好を検索に反映させるものだ。

だったら、情報はどんどん捨ててしまおう。大丈夫、それがネット上のものであるなら、Google が拾ってくれる。きちんとしまっておいてくれる。必要になったら見つけてくれる(かもしれない)。見つからなければそれまでのもの。縁がなかったってことだ。心配ない、情報は、興味を引くものは他にもいっぱいある。

捨てて、捨てて、捨てまくって、それでもなお捨てられずに残るものがあるなら、それは自身にとって肝心な何か。「必要だから」じゃない、「役に立つから」でもない。それは自分にとって「忘れたくないモノ」。こだわらずにはいられない何か。捨てることで大事なものを見つける。それだけを手に持って、あとは全部、丸ごと Google に任せよう。

情報はしぼらなきゃならないという発想。これは、限られたリソースをどこに投資するかという問題(選択と集中)のバリエーションだ。そして、この問題はライフハック界隈で繰返し聞く「制御(コントロール)を取り戻す」という主張とつながくる。

「しぼる」は「捨てる」、「あきらめる」と同義。「あきらめる」こと、それが肝心。その代わり、あきらめなかったことはとことん追求する。こだわる。それが職人ってものだろう?

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