2009-12-10

フリーランチの時代 ([著]小川一水, [版]ハヤカワ文庫JA930) #2

前回に続いて、残りの 2 作品、「千歳の坂も」と「アルワラの潮の音」を読んだ。

収録作品

  • フリーランチの時代
  • Live me Me.
  • Slowlife in Starship
  • 千歳の坂も
  • アルワラの潮の音

千歳の坂も

「千歳の坂も」は、「フリーランチの時代」、「Slowlife in Starship」に続く、もうひとつの豊穣の時代を描く。今度の「豊穣」は不老不死。

むかしから物語に少なからず描かれる不死者は、たいてい偶然に、それも不可避な形で、ほとんど重荷のようにその特性を背負わされる。 しかし、本作で描かれる不老不死は違う。 医療技術が発展した結果、いつの間にか実現してしまったもの。病気が根絶ないしは治療法が確立され、さらには老化遅延さらには防止が可能になった世界。人は、死なずにすむのであれば、誰もがそれを望むのだろうか。死が避け得ない何かでなくなったとき、生きること、生き続けることの意味は変わるのだろうか。そういうトーンで物語は始まる。

本作のおもしろさは、その問いかけだけで終わらなかったところだ。国民に対して不老不死を強制させる役人と、逃れようとする女性。ある意味、体制と個人の自由の対立の構図から始まった物語は、「豊穣」が歪める社会を駆け足で描き出す。いつしか、最初の問いかけは意味を失う。

十分、長編にふくらませることも可能な設定、構想を短編として提供する。千年をわずか数十ページで書き切る。SF 作家はなんとぜいたくなアイデアの使い方をすることか。そして、それを一息で読み切ってしまう SF 読みはさらにぜいたくだ。
(あろうことか、不満を漏らしたりもするからな)

アルワラの潮の音

「アルワラの潮の音」は、「時砂の王」と同じ世界の物語。それも「時砂」の方でナン・マドールの巨石文明における戦いとして言及されているエピソードだ。

(時砂の王; p.231)
南太平洋の島に浮かぶ、半水半陸のその美しい都市で、アレクサンドルと仲間たちが戦ったのは、そう昔のことではない。

「時砂」自体が、ラストはともかく、全体のトーンが重苦しいものだけに、そこで言及されるエピソードも明るいものであるはずもない。この短編を読んだだけでは、その雰囲気が後味の悪さを残すかもしれない。まだ「時砂」を読んでいなければ、これを機会に読んだ方が良い。

もともと「時砂」の物語の設定が、こういうエピソードを数多く挿入できる構成になっている。「勝利三六回、撤退三七〇回」という戦いの中には、まだまだ語られるに足る物語が埋もれているに違いない。シリーズ化しても良いと思うんだよ。それだけ魅力的な設定だ。

参考文献

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