ふと、思った。どうして「undo」なんて機能が存在するのだろう、と。もちろん、undo が便利なことは良く知っている。エディタを始めとするデータ入力中心のアプリでは必須だと感じる。
けれど、行動の「やり直し」が効くことなんて、実世界ではまずありえない。役所やら何やらに提出する申請書なんかを手書きで作るとき、書き損じたら始めから書き直しするんじゃないか? 料理をしていて味付けに失敗したら(塩を入れ過ぎたとか)取り返しはつかないだろう。
「誰のためのデザイン」(p.56)
なんらかのエラーが起こりうる場面では、だれかがそのエラーを引き起こすだろう。 (…中略…) エラーは見つけ出しやすくなければならないし、その結果生じる損害は最小でなくてはならない。できれば元に戻せるようにすべきだろう。
手軽にやり直せるのはデジタルな世界だけだ。では、なぜデジタルな世界ではそんなものが必要とされたのか。実世界に存在するモノを写し取ったんじゃないとすれば、それはどこからやってきたのか。簡単な操作で直前の状態に戻せる「お手軽なやり直し」を作った先駆者たちは何を解決しようとしたのだろう。その答えは「難しさ」にあるようだ。
難しさの緩和
「ヒューメイン・インタフェース」(p.123)
今日見られるシステムで、セレクションを行う手順のアンドゥやリドゥが行えるものはほとんどありません。こういった手抜きは、セレクションを行う際に過ちが多発する現状を考えた場合、不幸なことであると考えられます。
ここ(↑)でいうセレクションとは、コンピュータの操作のこと。具体例を挙げると、エディタやワープロでのテキストの選択。GUI 以前はもちろん、マウスとビットマップディスプレイの時代になっても、操作の対象となる何かの選択は難しかった。難しいことだからこそ、失敗に対する救済手段が必要だったのだ。選択に限らず、コンピュータの操作は(今でもそうだが、かつてはもっと)難しかった。間接的で抽象的な世界の作業だからだ。
試行錯誤の手段
また、「お手軽なやり直し」を用意しておけば、ユーザがシステムの操作を習得しやすくなる、という面も期待されたようだ。
「Apple Human Interface Guidelines: The Apple Desktop Interface (日本語版)」(p.8)
原則として、ユーザ側で行う操作は全て取り消し可能なものとします。取り消しができない場合、その旨をユーザ側に知らせます。
(…中略…) ある機能について知りたい場合、プログラムを実際に操作して確認する場合のほうが多いはずです。この方法は子供の成長過程に見られるような試行錯誤によるもので、操作とフィードバックが何度となく繰り返されます。
残念なことに「お手軽なやり直し」を実装したシステムはほとんどない。せいぜいが、比較的大量にデータを入力するアプリで一部の編集操作をやり直せるだけ。データを保存してしまえば操作履歴は消えてしまう。その代わりに作られたのは、しつこいくらいの警告ダイアログたちだ。やり直しは失敗したときにこそ必要になる。失敗する前にいくら警告されても役に立たない。ユーザをイライラさせるだけだ。
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