「undo」に関する考察の続き。
複製可能である
実世界にはない「お手軽なやり直し」がなぜデジタルな世界には存在するのか。作られた理由は前回見たとおり。難しさを緩和し、試行錯誤の手段を提供するためだ。では、それが可能であったのはどうしてか? 実世界にだって難しいことはあるし、試行錯誤ができればウレシイ場面も多い。でも、実世界に「お手軽なやり直し」は存在しない。行動や作業のやり直しは、何らかなのペナルティをともなう。何も失うことなくやり直せるのはデジタル世界の特性であるわけだ。
デジタル世界でやり直しが効くのは、複製を安価に作れることにある。それも完全な複製だ。ファイルをコピーすれば内容の寸分違わぬ実体をもう一つ手に入れられる。この「複製可能性」という特性こそが「お手軽なやり直し」の肝にある。
複製可能について深く考えると、「同じってどうゆうこと(・ω・)?」という問い(同一性問題)を無視することはできなくなるけど、今はちょっと棚上げにしておこう。
実現が困難である
残念なことに、「お手軽なやり直し」を広範に実現したシステムは存在しない。PC であれ Mac であれ、「undo」が効くのはアプリの中のそれも一部の編集操作に限られている。システム全体で「あっ、今のナシ!」という思いに応えてくれはしない。なぜだろう?
(1) ユーザは必要としないから、(2) 高価だから、(3) 実現が困難(できない)から。理由として考えれらるのはこの 3 つぐらいか。
ユーザは間違いなくやり直しを必要としている。プレゼン資料を作っているとき、ちょっと思い付いたことがあって手を加えたくなり、でも今の状態を壊してしまうのが不安で、ファイルをコピーしておく、なんてことはしょっちゅう行われている。やり直しがシステムに作り込まれていて、いつでも元に戻せるなら、ユーザは安心していられる。
やり直しを可能にするのが複製だとすれば、その実現には余分なコスト(プロセッサのパワー、メモリやディスクの容量)が必要になる。1M バイトに満たないフロッピーディスクで動いていた初期のパソコンではそのコストを負担することはできなかったのかもしれない。けど、今ならそんな余分な実行時のコストも賄えるんじゃないか?
必要性(要求)もわかっていて、実行時のコスト問題も解決できるにも関わらず、いまだに実現されていないとすれば、おそらく「実現が難しい」ってことなんだろう。それも実装うんぬんの前に、何をどう作れば言いのかがわからない。そう、デザイン(設計)の段階でつまづいているんだと思う。
今のところ、こんなもの…
たとえば、プログラマには馴染みのあるバージョン管理ツールとか構成管理ツールとか呼ばれるものは、やり直しを支援するシステムだ。個人から大組織までさまざまな規模の作業に対して「やり直し」を実現してくれる。ただし、いくつもあるツールにうち、どれをとっても「お手軽」とは言えない。コミットって言われてもなあ…。
Mac OS X の Time Machine は自動バックアップを実現してくれる機能だ。決まった時間間隔で変更のあったファイルを丸ごと保存しておいてくれる。いつでも後戻りできる安心感を与えてくれる。現状では、いちばん「お手軽なやり直し」に近いものだ。とはいえ、操作性や見せ方にはまだ工夫の余地があるんじゃないか? まあ、そういう工夫を考えるは Apple の仕事じゃないかもしれないけど。
iPhone (それから間もなく発売される iPad) には汎用のファイルは存在しない。正確に言えば、ユーザの目からは見えない。アプリごとに自分用のデータを保持している(ように見える)。このようなシステムでは Time Machine のようなソリューションは使えない。(パソコンとは異なり)ファイルベースなユーザ体験を提供していないシステムだから。また、比較的リソースが限られているから、上述の (2) にひっかかる可能性もある。ただ、ひょっとしたらこういうデバイスは、出自こそデジタルだけど、その使われ方はどんどんアナログな道具に近付いているのかもしれない。そしてアナログな世界では「お手軽なやり直し」なんてものは存在しない。失敗したら、最初から(文字通りの)やり直しをするだけ。
[セーブ」って何?
そうそう、「こまめなセーブ」という心がけを聞いたことがあるだろうか? 仕事での資料づくりからゲームのプレイまでに適用できる「コンピュータリテラシー」のひとつで、かつて信頼性の低かった、つまりしょっちゅう操作不能に陥っていた(ハングするとか、フリーズするとか呼ばれる)コンピュータに適応した人々が持つに至った能力だ。残念なことに21世紀になった今でもとても有効。
いつか「お手軽なやり直し」をまじめに実現するシステムができれば、「セーブ」という操作自体が消えるだろう。そして「こまめなセーブ」は昔を懐しむ老人の繰り言になる。まだまだ先のことだろうけど。
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