2010-04-16

理性の限界 -- 不可能性・不確定性・不完全性([著]高橋昌一郎, [版]講談社現代新書) #2

(第三章; p.227)
当時の数学者にとっては、不完全性定理が「完全犯罪」の証明のように見えたかもしれません。
 実際に、ゲーデルの方法は、真犯人だとわかっていながら、いかなる司法システム S も立証できない犯罪 G を生み出したイメージに近いのです。(…中略…)
 これをいくら繰り返して新たな司法システムを作っても、ゲーデルの方法を用いて、そのシステム内部でとらえきれない犯罪を構成できるのです。

ホームズがいくら経験を積んでも、常にモリアティ教授の方が一枚上手だってことですね。わかります。

不完全性定理の説明として、これほどイメージが捉えやすいものはないな。どれほど巧妙にシステムを構築したとしても、スルリとその網を抜けてしまうヤツがいる。

ところで、(ゲーデルの)不完全性定理の説明について、これまでこう思ってきた(↓)

「とはいえ、これは自然数論の話じゃん。他のシステム(たとえばヒトの知能)とかには関係ないよねえ」

世の中、そんなに甘くないらしい。

本書によれば、「ゲーデルの証明方法は、自然数論を含む数学システムすべてに適用でき」(p.243)、「さらに、数学を表現手段として含む物理学や科学全般のような広範囲の S の拡張システムについても」(p.244)、同じことが言え、ついには「いかなるシステムを用いても、すべての真理を汲み尽くすことはできない」(p.244)のだと言う。

う〜ん、夜も眠れなくなりそう。

すべての形式システムの不完全性と言われても、どこか抽象的で現実感が薄いのだけど、これがチューリング・マシンの限界を示す(p.249〜254)と言われると、とたんに身近に感じるようになる。なぜなら、チューリング・マシンはすべてのデジタル・コンピュータの基本原理であり、結局のところコンピュータはチューリング・マシンなのだ。

ではヒトの脳についてはどうだろう? 脳に宿る精神、とくに理性や知性(知能)と呼ばれるシステムにも、不完全性定理は適用されるのか? ゲーデル自身をふくめた科学者たちは、ヒトの知性はチューリング・マシンを超えるものだと考えているらしい(p.254)。これ自体は少し明い見通しをくれるけど、同時に別のさびしい結論を示唆する。というのも、すべてのコンピュータがチューリング・マシンとしての限界を持つ以上、人工知能は(少なくともヒトと同等の存在としてのものは)コンピュータを用いて実現できないことになってしまうから。

本章の残りの部分では、不完全性定理に関する研究の進展としてグレゴリー・チャイティンアルゴリズム的情報理論について触れている。チャイティンの著作も何冊か、部屋にあったはず。

(おわりに; p.264)
本書において、「アロウの不可能性定理」と「ハイゼンベルクの不確定性原理」と「ゲーデルの不完全性定理」をまとめて『理性の限界』を探求するという無謀な試みに際して、私が最大の目標にしたのも、なによりも読者に知的刺激を味わっていただくことである。

うん、とても刺激を受けた。第二章はまだ読んでいないけど、第一章(アロウの不可能性定理)と第三章(ゲーデルの不完全性定理)で、十分に脳ミソが興奮した。

さっ、それじゃこの勢いでチャイティンの本も読んでみようか。

関連書籍

数学の限界
グレゴリー チャイティン / エスアイビーアクセス ( 2001-06 ) /アマゾンおすすめ度
知の限界
G.J.チャイティン / エスアイビー・アクセス ( 2001-09 ) /アマゾンおすすめ度

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