2009-12-29

キリンヤガ ([著]マイク・レズニック, [訳]内田昌之, ハヤカワ文庫SF1272)

キリンヤガ (ハヤカワ文庫SF)
マイク レズニック
早川書房 ( 1999-05 )
ISBN: 9784150112721
おすすめ度:アマゾンおすすめ度

(帯より)
SF史上最多数の栄誉を受け、21世紀の古典の座を約束された、感動のオムニバス長編

少し古い(10年と少し前)作品だけど、久しぶりに大量に読んだ勢いにまかせて、これも一気読み。以下に各短編のタイトルを示す。プロローグとエピローグをあわせて 10 作品。

  • プロローグ: もうしぶんのない朝を、ジャッカルとともに
  • 1. キリンヤガ
  • 2. 空にふれた少女
  • 3. ブワナ
  • 4. マナモウキ
  • 5. ドライ・リバーの歌
  • 6. ロートスと槍
  • 7. ささやかな知識
  • 8. 古き神々の死すとき
  • エピローグ: ノドの地

雑感

買ってから10年以上放置しておいたものの言うことではないけれど、SF が好きで、かつまだ読んでいないなら、いますぐ買いに走った方が良い。さいわい Amazon でも在庫はある。10年前の出版物としては入手しやすいようだ。

ざっくり言えば、楽園を作ろうとした老人の挫折の物語。老人が求めた楽園とは何か。なぜ失敗するのか。そもそもこれは楽園だったのか。読み手にそういうことを考えさせる作品集。

作者自身がいちばんのお気に入りだと言う(作者あとがきより)「空にふれた少女」は、ティプトリーの「たったひとつの冴えたやりかた」と並べておきたくなる作品。こう書けば、「たった…」を知っているなら物語の筋がおおよそ見当がつくだろう。訳者が言う、だまされたと思って読んでみて欲しい、と。その価値は確かにある。ただ、単独で読むよりも「ささやかな知識」とあわせて、一対の物語として読んだ方が良い。

「空に…」も「ささやかな…」も良いけれど、わたし自身のベストを挙げるなら「マナモウキ」。楽園の崩壊を予兆させる内容なのに、コミカルな印象を持つ作品。神の代弁者として絶大な力を持つ賢者が、中年の主婦のわがままに振り回される姿は喜劇そのもの。作品集全体を通して重いトーンが続く中で、唯一笑みを浮かべられる部分だ。もっとも、物語自体はやはり重い。楽園が崩壊する理由をもっともストレートに表している作品だ。

エピローグとなる「ノドの地」はイマイチ。とくにクローニングにより復活させられたゾウは余計なガジェットだとしか思えない。

知識は呪

主人公、コリバを中心とした長老たちは、自分たちの民族にとっての楽園を建設するために厳しい規制を設ける。伝統という名で呼ぶそれに反する一切を拒絶する。伝統によってのみ楽園を成立させ維持することができると信じて。伝統により、(西欧的な観点からすれば)貧しく苦しい暮らしを保つ。伝統を守るため、けがや病気を癒す科学技術にも背を向ける。伝統の名の下に、生まれたばかりの健康な子どもを間引く。

伝統を保持するために鍵となるのが、楽園の住人たちを無垢な状態に保つこと。そして、無垢すなわち無知でもある。けがの痛みをやわらげ、病気を癒す薬の存在を知らなければ、苦痛に耐えるしかない。うまい食べ物を知らなければ、粗食にも耐えられる。きれいでやらわかな衣服に身を包んだことがなければ、着飾ろうと思うこともない。

コリバたち長老は、知識を限定することが善であり、住人たちを幸福にすると決めつけた。無制限の知識は、楽園を外の世界に同一化させてしまう呪いであると考えた。そして自らも限定的な知識による制約に縛られることを受け入れた。得るために、失うことを良しとした。すべては楽園を実現させるため。

しかし、選択権を与えられなかったものが現れる。楽園で生まれ、育った子どもたちだ。彼らは大人たちが幸福と引き換えにあきらめたものを知らなかった。それが、注意深く設計された楽園を変質させてしまうものだとは思いもよらなかった。だからこそ、知識のかけらを見つけたとき、そのまぶしさに魅了された。

(空にふれた少女; p.97)
「あなたはただの人間よ」カマリは疲れきった声でいった。「もう最悪の呪いをかけてしまったわ」

コリバの持つ知識の一端に触れた少女は、女であるという理由で、知識の伝授を拒絶され、考えることをも禁じられる。彼女は自ら死を選ぶ。他に生きる道があるとは思えなくなっていたから。暗闇の中で光を見つけたものは、ふたたびそれを失うことに耐えられない。

一方、コリバの後継者として育てられた少年は、与えられた知識によってコリバの行動が、楽園の伝統が欺瞞であると反発する。

(ささやかな知識; p.359)
それよりも、いったん知識を得たら、それが自由にあたえられたものであろうとなかろうと、心をもとにもどすことはできないんだと教えるほうがずっとわかりやすい。 (……中略……) おまけに、ぼくは自分の得た知識を返したくない。もっと多くのことを学んで、すでに知ったことは忘れないようにしたい。

彼は(コリバたちのつくった)楽園ではなく、外の世界を選ぶ。

知識は呪いだ。外から見れば、知らないことは不幸に見える。けれど知らない当人にとっては、知らないのだからそもそも比較のしようがない。嘘だと思うんならチャーリーに聞いてみると良い。

楽園という名の箱庭

主人公、コリバは楽園をつくろうとした。彼と彼の民族がもっとも幸せだった時代の暮らしを再現しようとした。西欧文明が持たらした豊かな生活と引き換えに失なったものを取り戻そうとした。高等教育を受け、西欧文明を形作るものを理解した上で、そのすべてに背を向けた。

コリバが目指したものが彼にとっての楽園であったことは間違いない。彼は楽園を手に入れ、その保全に力を尽くす。楽園を楽園たらしめている伝統を、その住人に強制することで。

けれど、この小世界は本当に楽園なのだろうか? 生まれたばかりの子どもを逆子だったからというだけで殺す世界は誰にとっての楽園なのか(「キリンヤガ」)。健康で、自らの仕事を十分に心得ていて働き続ける意思のあるものが、ただ年老いたというだけで隠居して無為に暮らさなければならない世界を楽園と呼べるのか(「ドライ・リバーの歌」)。

ここで描かれる世界は読み手の共感を呼ぶことはない。この世界はコリバという男の、(西欧)文明世界に疲れた老人の恣意的な箱庭にすぎない。だから、彼は外からの侵入者を(歓迎するふりをしながら)排斥する。住人からの(変化に対する)反発を武器にして。

(マナモウキ; p.222)
生まれてからずっとこういうところを夢見てきたの。せっかく実現したんだから、絶対にここを離れるつもりはないわ。そのためならなんでもするつもりよ

この世界を楽園と信じた侵入者は、世界と融和するために次から次へと譲歩を求められる。あれをするな、これをしろ、その考えは間違っている、と。侵入者は犠牲をはらうことに疲れ、楽園だったはずの世界を去る。

しかし、楽園にも終わりが来る。いや、この小さな世界は終わらない。終わるのはコリバのつくった箱庭としてのキリンヤガだ。住人たちがコリバと、彼の押し付ける伝統に疑問を持つようになるとき、楽園は終わり外の世界の一部にもどる。

神になろうとした老人

コリバが語る寓話の中で、彼の民族が信じる神が登場する。神の語る言葉が伝統であり、楽園としてのキリンヤガを形作る制約だ。しかし、それはコリバの言葉でもある。むしろ、彼の言葉でしかない。コリバは神を演じていたのだ。他の誰の言葉にも耳を貸さないわがままな神を。

しかし、コリバの民はその言葉に疑問を持つ。彼が演じる神(とその罰)よりも、外界から入ってくる文明のかけらを求める。もはやキリンヤガに神は必要ない。

エピローグとしての「ノドの地」では、ケニアに戻ったコリバの姿が描かれる。皮肉なことに、そこでのコリバの振る舞いは、彼が民族の伝統として定めた規則からまったく外れたもの。伝統は老いては子にしたがえと求める。キリンヤガでは、それに反する老人に厳しい罰を与える。その彼自身がケニアでは息子の諫めに耳を貸さない。そこにいるのは、ただ頑固なだけの老人だ。求めることだけ多く、求められることに応えようとしない愚か者だ。神になろうとして失敗し、失敗したことの意味を理解しようとしない男だ。

関連作品

「空にふれた少女」とあわせて読みたい、ってところかな(↓)。

たったひとつの冴えたやりかた (ハヤカワ文庫)
ジェイムズ,ジュニア ティプトリー, 浅倉 久志, ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア
早川書房 ( 1987-10 )
ISBN: 9784150107390
おすすめ度:アマゾンおすすめ度

2009-12-15

紅の勇者オナー・ハリントン シリーズ ([著]デイヴィッド・ウェーバー, [訳]矢口悟, ハヤカワ文庫SF)

ほぼ丸二日、のべ三日をかけて一気読み。まずは表紙を並べてみよう。

新艦長着任!〈上〉―紅の勇者オナー・ハリントン(1) 新艦長着任!〈下〉―紅の勇者オナー・ハリントン(1) グレイソン攻防戦〈上〉―紅の勇者オナー・ハリントン(2) グレイソン攻防戦〈下〉―紅の勇者オナー・ハリントン(2) 巡洋戦艦“ナイキ”出撃!(上)―紅の勇者オナー・ハリントン〈3〉 巡洋戦艦“ナイキ”出撃!(下)―紅の勇者オナー・ハリントン〈3〉 復讐の女艦長〈上〉―紅の勇者オナー・ハリントン〈4〉 復讐の女艦長〈下〉―紅の勇者オナー・ハリントン〈4〉 航宙軍提督ハリントン〈上〉―紅の勇者オナー・ハリントン〈5〉 航宙軍提督ハリントン〈下〉―紅の勇者オナー・ハリントン〈5〉 サイレジア偽装作戦〈上〉―紅の勇者オナー・ハリントン〈6〉 サイレジア偽装作戦〈下〉―紅の勇者オナー・ハリントン〈6〉 囚われの女提督〈上〉―紅の勇者オナー・ハリントン〈7〉 囚われの女提督〈下〉―紅の勇者オナー・ハリントン〈7〉 女提督の凱旋 上 (ハヤカワ文庫 SF ウ 16-16 紅の勇者オナー・ハリントン 8) 女提督の凱旋 下 (ハヤカワ文庫 SF ウ 16-17 紅の勇者オナー・ハリントン 8)

さすがに 16 冊ともなると壮観だ。

2009-12-12

twitter より (2009-12-11)

  • ノートパソコンについている「トラックパッド」(で良いのかな?)。マウスの代替としてはなかなかの発明だ(トラックボールからの発展なのかなあ)。けど、iPhone 以降、タッチタイプの液晶画面が(とくに携帯機器において)隆興しているのを見ると思う。(以下、つぎのつぶやきへ) posted at 10:32:22
  • どうして、ノート方でも触れる液晶が主流にならなかったんだろうか、と。 posted at 10:33:28
  • GUI の基本、ユーザに対象物を直接操作している感覚を与える、という方針にのっとれば、画面に直接触れる方が正しい進化であったはず。 posted at 10:35:48
  • すでにマウスによる入力が確立されていたデスクトップと違い、ノートタイプにはマウスとは異なる「何か」が求められていたはず。どうして、トラックパッドのような「いびつなモノ」を作っちゃったんだろう。 posted at 10:38:03
  • コストかなあ。コストのような気がするなあ。 posted at 10:38:29
  • ノート型が一般的になり始めた十数年前には、技術的に難しい点があったのかもな。 posted at 10:41:50
  • Apple がやってくれないかな。次の MacBook あたりで。 posted at 10:42:59

2009-12-11

Cocoa アプリ の構造 #1: Nib の周辺

Cocoa アプリでは、アプリが利用するさまざまなリソースを Nib ファイルに保持している。この中には、アイコン等の画像データに加えて、メニューやウィンドウといったユーザインターフェースの記述もふくまれている。アプリによっては、複数の Nib ファイルを持つものもあり、当然、どの Nib をどういうタイミングでロードするのかを制御する仕組みが存在する。この仕組みが気になり少し調べてみたので、わかった範囲で記録しておく。

アプリと Nib の関係

Cocoa アプリのスタートポイントは NSApplicationMain 関数で、その処理は主に次の 3 つ。

  1. NSApplication のオブジェクトを作ること (グローバル変数 NSApp にセットされる)
  2. アプリの主要 Nib ファイルをロードすること
  3. NSApp に run メッセージを送ること

今回、ふと気になって調べたのがこの 2 番目。Nib ファイルのロードについて。具体的には、どの Nib ファイルが、いつロードされるのか、また、そのトリガーは何なのか、など。ちなみに Xcode/Interface Builder 3.0 以降は、デフォルトでバイナリ形式の Nib に代わって XML 形式の「Xib ファイル」が使われる。SCM ツール等との相性の良いテキスト形式のフォーマットを作ったとのこと。ビルドの際に Nib へと変換される。([4]を参照)

まずは、アプリに対して 1 つ存在する「主要 Nib ファイル」というものについて。これはどこで指定しているんだろうか? Xcode で Cocoa アプリ用のプロジェクトテンプレートを指定すると、MainMenu.xib が作られ、これが主要 Nib になる。まさか、ファイル名がハードコードされているはずもないから、どこかに名前の指定があるはず。

主要Nibファイルの設定

[2] の "Changing the Nib Files from the Xcode Defaults" の記述でそれが判明した。Xcode からプロジェクトのターゲットからアプリケーションを選び、「ファイル」>「情報を見る」。「情報」パネルの「プロパティ」タブを開くと、中段に「主要クラス」と「主要Nibファイル」の設定がある (右図)。

ちなみに、これら「プロパティ」の設定は、Info.plist としてアプリにくっついて行く。

MyDocument と Nib の関係

Xcode で document-based アプリ用プロジェクトを作る

Cocoa アプリのプロジェクトを作る際に "document-based application" を指定すると、Document-Based アプリ([3]を参照)を作ることができる。このとき、Xcode が自動生成する Nib ファイルは MainMenu.xib と MyDocument.xib の 2 つ。前者は上述のようにアプリの「主要 Nib ファイル」だ。後者はファイルを作成、編集する際に表示するユーザインターフェースを記述するためのもの。では、MyDocument.xib はいつ(何をきっかけとして)、誰が(どのオブジェクトが) ロードするのか? その答えも [3] に書かれていた。以下は、プロジェクトテンプレートが想定する、もっともシンプルな場合の動きだ。

Document-Based アプリでは、NSDocumentController というオブジェクトが存在し、ドキュメントの作成やオープンを担当している。メインメニューからファイルの新規作成やオープンが選択されると、NSDocumentController に指示が届く。で、このオブジェクトは生成する(開く)ドキュメントのタイプに応じて、適切なクラス(NSDocumentのサブクラス; デフォルトでは MyDocument)のオブジェクトを生成する。このオブジェクトとドキュメント編集のための Nib ファイル(MyDocument.xib) との結び付きは、MyDocument の windowNibName メソッドが返す文字列によって作られる。デフォルトではこれが "MyDocument" となっている。

さて、では NSDocumentController はドキュメントのタイプと MyDocument クラスをどこで結び付けているのだろうか? それも、Info.plist だ。その中で、ドキュメントタイプごとに拡張子やアイコン等と一緒にクラスも指定する。

関連リンク

ちなみに以下のリンクはすべて Mac Dev Center の文書なので、Xcode のドキュメントブラウザからも読める。

[1] Cocoa Fundamentals Guide: The Core Application Architecture on Mac OS X
後ろの方にある "Nib Files and Other Application Resources" が Nib 関連の記述。
[2] Resource Programming Guide: Nib Files
"Anatomy of a Nib File" では、Interface Builder でおなじみの「File's Owner」や「First Responder」の説明がある。
[3] Document-Based Applications Overview: Implementing a Document-Based Application
"The Document-Based Application Project Template" に、Xcode の Document ベースアプリのプロジェクトテンプレートの説明がある。
[4] Interface Builder User Guide: Nib File Management
Nib と Xib の違いについての説明がある。なぜ、Xib ファイルを使うようになったのか、等。

参考文献

ヒレガス本 p.157 に "The Document Architecture" に document-baseed アプリについての簡単な説明がある。ただ、Nib ファイルのことはほとんど何も書いていない。ここに書いていないから、本家のドキュメントを調べたのだ。

Cocoa Programming for Mac OS X
Aaron Hillegass
Addison-Wesley Professional ( 2008-05-15 )
ISBN: 9780321503619
おすすめ度:アマゾンおすすめ度

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2009-12-10

フリーランチの時代 ([著]小川一水, [版]ハヤカワ文庫JA930) #2

前回に続いて、残りの 2 作品、「千歳の坂も」と「アルワラの潮の音」を読んだ。

収録作品

  • フリーランチの時代
  • Live me Me.
  • Slowlife in Starship
  • 千歳の坂も
  • アルワラの潮の音

千歳の坂も

「千歳の坂も」は、「フリーランチの時代」、「Slowlife in Starship」に続く、もうひとつの豊穣の時代を描く。今度の「豊穣」は不老不死。

むかしから物語に少なからず描かれる不死者は、たいてい偶然に、それも不可避な形で、ほとんど重荷のようにその特性を背負わされる。 しかし、本作で描かれる不老不死は違う。 医療技術が発展した結果、いつの間にか実現してしまったもの。病気が根絶ないしは治療法が確立され、さらには老化遅延さらには防止が可能になった世界。人は、死なずにすむのであれば、誰もがそれを望むのだろうか。死が避け得ない何かでなくなったとき、生きること、生き続けることの意味は変わるのだろうか。そういうトーンで物語は始まる。

本作のおもしろさは、その問いかけだけで終わらなかったところだ。国民に対して不老不死を強制させる役人と、逃れようとする女性。ある意味、体制と個人の自由の対立の構図から始まった物語は、「豊穣」が歪める社会を駆け足で描き出す。いつしか、最初の問いかけは意味を失う。

十分、長編にふくらませることも可能な設定、構想を短編として提供する。千年をわずか数十ページで書き切る。SF 作家はなんとぜいたくなアイデアの使い方をすることか。そして、それを一息で読み切ってしまう SF 読みはさらにぜいたくだ。
(あろうことか、不満を漏らしたりもするからな)

アルワラの潮の音

「アルワラの潮の音」は、「時砂の王」と同じ世界の物語。それも「時砂」の方でナン・マドールの巨石文明における戦いとして言及されているエピソードだ。

(時砂の王; p.231)
南太平洋の島に浮かぶ、半水半陸のその美しい都市で、アレクサンドルと仲間たちが戦ったのは、そう昔のことではない。

「時砂」自体が、ラストはともかく、全体のトーンが重苦しいものだけに、そこで言及されるエピソードも明るいものであるはずもない。この短編を読んだだけでは、その雰囲気が後味の悪さを残すかもしれない。まだ「時砂」を読んでいなければ、これを機会に読んだ方が良い。

もともと「時砂」の物語の設定が、こういうエピソードを数多く挿入できる構成になっている。「勝利三六回、撤退三七〇回」という戦いの中には、まだまだ語られるに足る物語が埋もれているに違いない。シリーズ化しても良いと思うんだよ。それだけ魅力的な設定だ。

参考文献

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